スノーボードを世界に広めたバートンヒストリー
今や誰もが知るスノーボードのビッグブランド、BURTON SNOWBOARDS。その始まりは、若き日のジェイク・バートン・カーペンターが自宅のガレージで作った木製のボードでした。
誕生からおよそ40年、BURTONの発展はスノーボードの発展そのものです。そして、MOJANEという小さなお店の歴史でもあります。
お気づきの方も多いかと思いますが、MOJANEのラインナップはBURTONの比率がとても高い!「もはや札幌のBURTONストア」と揶揄される事も少なくありません。なぜ、ここまでBURTONを追求するのか。それは、開発力や品質、保証制度といったユーザーとしての信頼と満足度が答えなのですが、根底にはいちスノーボーダーとして、ジェイク・バートンを中心としたスノーボード開拓史に感銘しているから、という理由があります。
MOJANEにとって、最も特別なスノーボードブランドBURTON SNOWBOARDSが歩んできた歴史や、品質について僕の視点でご紹介します。
スノーボードの発祥とジェイク・バートン
スノーボードの誕生には諸説がありますが、アメリカの玩具メーカーが1965年に販売した”Snurfer スナーファー”(板に取り付けられたロープを持ってコントロールするもの)が原型とされているほか、SIMS創設者Tom Simsトム・シムスがスケートボードを改造した”スキーボード”が起源とも言われています。
横に立ち乗るソリのような玩具Snurferに魅せられたひとりの若者は、やがてそれを改造し、まだ名のないスノーボードを目指して夢中で改良を重ねていました。彼がスノーボード業界最大のブランドBURTON SNOWBOARDSの創設者となるジェイク・バートン・カーペンターです。
BURTON SNOWBOARDSの誕生
ジェイクはアメリカの東側、バーモント州を拠点にスノーボードの開発を進めます。
初期のスノーボードは、板の後部に小型のフィンをエッジとして付け、ノーズに取り付けたロープを持って操作する、というものでした。まだ回転するための設計は無く、サーフボードのようにデッキパットが付いていました。エッジがあり、ビンディングを固定する、という現在のスノーボードの形になるのはもう少し後のこと。
スノーボードの制作に明け暮れる日々を過ごしたジェイク。仕事を終えると、毎日夜明けまでガレージで作業をしたそうです。こうして完成したジェイク・バートンによるスノーボードは、一部のスナーファー愛用者に届けられ、その人気は徐々に広がりをみせていきます。
一方、ヒッピームーブメントの名残をとどめる70年代後期の西海岸では、サーフボードにインスパイアされたボード”スノーサーフィン”が、スケーターやサーファーの間で人気を集めていました。そして1976年にトム・シムスによる”SIMS”が設立され、その翌年にBURTON SNOWBOARDSが正式に誕生します。スノーボード時代の幕明けです。
初期スノーボード年表
1970年 アメリカ各地でスノーボードの原型となる商品開発が加速。
1972年 最初のボードブランドWinter Stickが登場。
1976年 西海岸でSIMS誕生。
1977年 アメリカバーモント州BURTON SNOWBOARDS設立。
1980年代中期、ジェイク・バートンが、”ゲレンデで滑走可能なスノーボード”の大量生産を開始。全米にその名を広めていく。
自作のスノーボードに手ごたえを感じたジェイクは、人生を懸けた決断をします。それまでの仕事を辞め、本格的にスノーボードの開発を開始したのです。当時は完成した大量のスノーボードを車に積み込み、アメリカ全土を巡って自らの手で販売したといいます。
その甲斐もあってか、若者が発信源となりスノーボーダーの数は急速に増えていきました。後発のスノーボードブランドも生まれ、各地でコンペティションも数多く開催されるようになります。
ただ、BURTONの売れ行きはジェイクの計画通りには伸びません。そこでたどり着いたのが、現在もBURTONの核の一つとなっている、コンペティションでのプロモーションでした。
※youtubeなどで1970年代後半~80年代のスノーボードの映像を検索して、当時の雰囲気を感じてみてください。
西のSIMS、東のBURTON。
80年代半ば、大量生産を開始したジェイクにとって、コンペティションシーンでの最大のライバルはSIMSでした。フリースタイル性を追求するSIMSに対し、レースに重きを置くBURTON。全く異なるアプローチから展開したそれぞれのスノーボードスタイルは、現在にも通じるブランドの特徴となっています。
当時のSIMSには、圧倒的な強さを誇るスノーボーダーCraig Kelly(クレイグ・ケリー)が在籍していました。しかし、クレイグのスノーボードへのストイックな意欲と、SIMSの陽気な西海岸気質の間には少しずつ溝が生じ、やがて破局へ。レーサー気質であるジェイクと意気投合したクレイグはライバルから一転、SIMSからBURTONへの電撃移籍を果たすのです。それは、スノーボード史を大きく動かす一大事件でした。
クレイグケリーとの最強タッグ
類まれなセンスとカリスマ性を併せ持つクレイグを迎え入れた事が、BURTONの転機となります。
ジェイクはクレイグに絶対的信頼を置き、クレイグもまたそれに応える様にBURTONに情熱を注ぎます。コンペティションで常勝するクレイグのボードに描かれた”BURTON”という文字は、ジェイクの狙い通り最高の広告となり、また、クレイグの要望によって、BURTONのギア開発は急速に成長を遂げました。
日本でも、いち早くこのムーブメントをキャッチして影響を受けたスノーボーダー達がいました。それもそのはず、当時からBURTONは全米ではなく、日本を含めた世界をターゲットとしていたそうです。仕掛け人はジェイク、功労者はクレイグ。二人の勢いはとどまることを知らず、スノーボードというアンダーグラウンドカルチャーを一気にメジャースポーツにまで押し上げました。そして1998年長野五輪で、ついにオリンピック正式種目となったのです。
2003年1月20日。雪崩事故によりクレイグ・ケリーはこの世を去りました。BURTONは、亡きクレイグの意思と功績を讃え”CRAIG’S”という名の自社工場を設立し、クレイグ・ケリーのスノーボードに対する飽くなき情熱を今なお伝え続けています。CRAIG’Sでは、バックヤードプロジェクトをはじめとする特別なラインナップの製造や実験的な開発が行われています。
Burton Snowboardsの企業理念
私たちは、革新するのを決して止めません。
私たちは、作成するのを決して止めません
。
そして、私たちは、スノーボーダーの言うことを聞くのを決して止めません。
BURTONがこれほど支持され、最先端であり続けられる理由は、会社理念の最後に掲げられているフレーズからも見て取れます。
第一線で活躍するライダーが在籍するだけでなく、雪が降ったらタイムカードは後回しでスノーボードを楽しむBURTONの社員たち!あらゆるスノーボーダーの意見を反映したプロダクト作りや、徹底したプローモーション、そしてエンドユーザーをサポートする体制が整っていること、これらによってBURTONとユーザーの信頼が築かれているのです。
高い信頼度を維持するBURTONのプロダクト
年々ジャンルが細分化しているスノーボードシーンに対応する圧倒的なプロダクト数で、ビギナーからトップアスリートまでを支えるBURTON。品質への強いこだわりはもちろん、常に新技術・新素材の開発には余念がありません。
BURTONのスノーボード
毎シーズン、全てのスノーボーダーをカバーする数十種のボードをリリースしているBUTONですが、2008年からはBURTONの新システムTHE Channel(チャネル)を多くのボードに採用しています。BURTONのブーツやバインディングもまた、THE Channelとの相性を考慮し、それぞれのスペックを最大限に引き出す設計がなされています。
BURTONで身を固めたスノーボーダーを多く目にするのは、そういった背景も挙げられます。2016-2017シーズン、MOJANEで扱うBURTONボードは全てTHE Channel搭載モデルとなり、BURTONボードをお選びの方にはバインディング/ブーツといったギアをBURTONで揃えることをお勧めしています。
BURTONの代名詞CUSTOM
その中で特筆すべき代表モデルは、世界のスノーボードシーンに衝撃を与えたCUSTOM(カスタム)です。90年代からスノーボードを始めた方の殆どがCUSTOMを体験したのではないでしょうか。世界中のユーザーから支持を得たモデルです。
CUSTOMは、高い操作性とスピン性を持ち、パウダーでは最高の浮遊感が体感できます。どんなフィールドにも適応するオールラウンドフリースタイルボードを開拓した、BURTON史に残るモデルです。
CUSTOMの発明者Dave Downing(デイブ・ダウニング)は、2015年に北海道で行われたBURTON試乗会の際、こう答えてくれました。
『ありとあらゆるスケートトリックをスノーボードで表現するために、ラウンドノーズとラウンドテールが必要だった。当時はまだ反り返ったツインボードはあったけど、そこにサーフィンの様なカービング要素は無かった。僕はこれを合体させたかったんだ。』
史上最も影響力のあるスノーボーダーとして知られるTerje Hakonsen(テリエ・ハーコンセン)もCUSTOM愛用者の1人です。
テリエはCUSTOMを基にシェイプを細くした”BALANCE”を開発。当時のハーフパイプの選手はロス・パワーズ以外、すべてこのBALANCEに乗って戦っていたと記憶しています。※補足(ロス・パワーズは2016年現在USAナショナルチームのコーチ。未だ大会に出場しており、お家芸のマックツイストは健在。明るい性格で若いライダーを引っ張っている名コーチです。また、 Dominator Wax開発に携わったライダーの1人でもあります。)
MOJANEが追うのはCUSOM X!
CUSTOMのアップグレード版CUSTOM-Xは、ハーフパイプやビッグジャンプ、ハードなライディングの為に開発されたモデルで、CUSTOMよりも硬いフレックス。ハイスペックなだけでなく、まるで体の一部になったかのような正確な操作性。選手にとってF1マシンのようなボードです。
BURTON史上、最も成功を収たモデルの一つCUSTOM-Xは、今やコンペティションシーンでの勝利に必要不可欠なボードだと言えます。
CUSTOM-Xの開発には、様々なテストライダーが参加しました。その中には元BURTON ライダー國母和宏選手の名前も残っています。また、元BURTONライダーであるDavid Carrier Porcheron(DCP)が加わった事により、アウトオブコース(バックカントリー)へとフィールドを拡大していきました。パウダー上でもレベルの高いフィーリングを与えてくれます。
ウィメンズの展開
スノーボードの発展と共に、女性のスノーボーダーたちに応える商品開発も徐々に拡大していきます。CUSTOMのガールズ版”FEEL GOOD”、CUSTOM-Xの位置づけとして”FEEL GOOD ES(生産終了)”がリリースされました。※現在はCUSTOM-X152がFEEL GOOD ESユーザーをカバーする形となっています。1996年にリリースされた名作、CUSTOMのDNAは現在も脈々と受け継がれ、フレックスやシェイプ、素材はもちろんのこと、グラフィカルなデザインやシグネイチャーモデルなど、様々に姿を変えてその進化を続けています。
BURTONが作るKING OF ブーツ
スノーボードギアで最も大切なギアはブーツです。BURTONブーツの特徴は、使うほどにフィットするライナーシステムや優れたコストパフォーマンス。足を通した瞬間に違いを実感できます。
まだスノーボードの為のブーツが開発されていなかった頃は、SORELにダクトテープを巻いて使用していた、という話が残っています。
BURTONは、ゼロからのブーツ開発で多くの功績を残しています。90年中頃にリリースされた”VIKING”。90年代後半から今尚ベストセラーであり続けている”ION”。そして一度履いたら二度と他のブーツでは満足できなくなる、という評判を残した”SL-X”。スノーボードレベルを底上げしたのは何時もBURTONのブーツでした。
靴紐を編み上げるシューレースタイプから、引っ張るだけで締め上げられる”SPEED ZONE”への移行は、画期的な進化でした。左右に付いてる紐を引っ張るというもので、手で紐を編み上げる従来の方法では感じる事が出来なかったタイトなホールド感が生まれました。また、England rope社(イギリスの消防局でも採用される信頼あるロープメーカー)の紐をSPEED ZONEに採用する事で、過酷な環境でも安心して使える画期的なブーツを送り出しました。
また、紐からワイヤーに素材を変えて開発した”BOA”システムは、瞬く間にスタンダードとなりました。ホールド感以外にもブーツを進化させる要因となっているのが、軽さです。一切の無駄を省いた足形小型化テクノロジー”Shrinkage”により、軽さと力の伝わりやすい構造を実現、極力薄く仕上げたソールは、BURTONバインディングとのフィッティングを高め、ボードをダイレクトにコントロールするESTシステムの効果を最大限に引き出します。
そして2015年、BOA社と共同開発を進め、ワイヤーでなく、ロープを使ったBOAシステムで、新たな歴史を作ろうとしています。世界中のスノーボーダーがBOA史上最高のブーツの完成を楽しみに待っています。
独自システムが光るBURTONのビンディング
ノースポンサーで世界を舞台に活躍するライダーたち。彼らの足元にはBURTONのビンディングを多く見かけます。理にかなったフォルム、圧倒的なフィット感…BURTONが目指すのは、つけていることを感じをさせないビンンディング。
1985年にBURTONからリリースされた固定式のバインディングは、現在のビンンディングの原型となりました。
更に、3Dインサートホールパターン、ステップインソフトビンディングといった革命的なバインディングを次々と発表し、常に業界を驚かせてきました。
そして、「スケートボードのように自由にセッティングできないか?」という新たなテーマから登場したのがBURTON独自システム”THE Channel”です。これによってビィンディングの新時代が始まり、現在ではほぼ全てのBURTONボードにTHE Channelシステムが採用されています。
THE Channelの開発には、元BURTONライダーJermy Jonesが大きな役割を果たしました。彼は過去にスポンサードされていたブランドForum Snowboardでこの案を打ち出していましたが、資金力等の問題をクリアできず、わずか1シーズンで終了。BURTONに移籍後に実現しました。
従来のビンディングはインサートホールに取り付けるものでしたが、THE Channelではボードに彫られた1本の溝に専用ESTバインディングを2本のビスで固定します。これまでと全く異なるシステムに困惑するユーザーもいましたが、セッティング次第で大きく変わるボードの性能を体感したり、自分だけのバランスを発見したりと、その奥深さをすぐに実感したのではないかと思います。
ライダーの個性を表現できるTHE Channelは、更なる上達・新たな楽しみ方を模索していたスノーボードファンの心を掴んだのです。
BURTONのウェア
スノーボードグッズを揃えるにあたって、大きな楽しみとなるのがウェア選びではないでしょうか。
素材開発に力を入れるBURTONからは、毎シーズン徹底したテストをクリアした、一歩進んだウェアがリリースされます。
基本性能の高さには定評があり、サイズ・シルエット展開、デザインの豊富さはビックカンパニーならではです。多くのウェアには、自社開発素材DRYRIDEを採用、保温性・耐水圧・撥水性・透湿性に優れています。また、高機能ライン”AK”シリーズにはGORE-TEXを使用、トップデザイナーによるデザインにも注目が集まります。
オリンピックUSスノーボードチームが着用する公式ユニフォームをBURTONが担当したことは有名です。ユニフォーム提供は、トリノ、バンクーバー、ソチ、の3大会連続となりました。
中でも特に記憶に残っているのが、パッチワークキルトと星条旗でアメリカらしさを表現したというソチでのユニフォームです。アメリカの伝統と選手の声を融合したユニフォームは、BURTONの技術とスノーボードへの熱い想いが詰まった、他国とは全く印象の異なるものでした。ジャケットには、ヴィンテージキルトと国旗のパッチワークが最先端の技術によってプリントされ、まるで手縫いで作られたかのようなリアルな仕上がりに。そしてパンツに使用した素材はなんとコーデュロイ。防水性と透湿性を備えたDRYRIDE Nanoshellラミネートを施すことで、アメリカのヒッピーファッションやカジュアルスタイル、伝統的な手芸を見事にウェアへと落とし込んだのでした。
その他、ビーニー・グローブ・ベースレイヤー・フリースがスノーボードチーム全選手に提供されました。ユニフォームを身にまとった選手たちがとても誇らしい表情をしていたことも印象的でした。
ソチでのユニフォームについてUSSAは「BURTONは、この一連のプロダクトによって、デザイン、機能性、スタイルに関する基準を一段と高くした。」と評価しています。
BURTON AKとデザイナーとのコラボレーション
スノーボーダーを惹きつけてやまない土地、アラスカを象徴として名付けられた”AK(エーケー)”。最も過酷な環境で最高のパフォーマンスを行う為の機能性を追及したシリーズです。
2015年GORE社と企業提携を結んだBURTONは、AKプロダクトに最先端のゴアテックスフィルムを採用。商品開発にはBURTON選抜ライダーがテスト&ライドを繰り返し、そのフィードバックが大きく取り入れられています。
近年は、世界で活躍する日本人クリエイターとの日本限定ラインも展開されています。代表的なものは、藤原ヒロシ氏がクリエイティブディレクターを務める”AK457”、White Mountaineeringのデザイナー相沢陽介氏によるコレクション”BURTON THIRTEEN”などが挙げられます。日本を代表するトレンドセッターによって音楽やファッションの要素が取り込まれたことで、BURTONプロダクトのデザイン性が高まり、特に雪山と生活が密着する北海道のスノーボーダーには、うってつけのワードローブとなりました。
BURTONでは1996年より、ボードスポーツに関わるその他のエクイップメントやアパレルブランドをファミリーブランドとして成長させています。その一つであるANALOGは、コアなスノーボーダーに受け入れられる落ち着いたデザインと最先端テクノロジーを兼ね備えたラインナップでMOJANEのお気に入りです。アウトドアブランドにはないストリート感の強いシルエットは若者層を中心に人気を集めています。
バッグとアウトドア用品
また、日常生活に溶け込む洋服や小物、キャンピングコレクションに及ぶ幅広い商品展開は、スノーボーダーのライフスタイルを想定し、ファンに応えようというサービス精神が垣間見られます。特にバッグのラインナップと使いやすさは、スノーボーダー以外からも一目置かれる存在です。
個人的にオススメしたいのは、カメラバッグです。「デザインと機能性を満たすカメラバッグが見つからない」と感じている人も多いと思いますが、BURTONのカメラバッグは、普段の使用はもちろん雪山や海での撮影時にも使い易く愛用しています。
スノーボード用品以外のプロダクトにも決して力を抜かないのがBURTONです。ライフスタイルへと繋がるトータルブランドとして確固たる地位を確立しています。
未来のスノーボーダーのために
BURTONは、世界が注目するコペティションやイベントの開催、ビギナーを対象としたスクールなど、様々な形でスノーボードを普及させる活動を行っています。
”Burton Global Open Series”は、今やワールドカップやオリンピックと並ぶ大会となりました。US・ユーロ圏を中心に開催するオープンイベントを通し、男女のグローバルスノーボードチャンピオンを決定しています。
常にトップライダーと共に更なる限界に挑んでいるBURTONですが、同時に、より多くの人にスノーボードを楽しんでもらうためのファンイベントも開催しています。世界各地で開催される”Party In Your Park”や”Burton Mountain Festival”ニュージーランドの”Burton Hige Fives”日本では”Burton Rail Days”といった多くのイベントでスノーボードの魅力を伝えています。
そしてBURTONが今最も力を注いでいること、それは未来のスノーボーダーの育成です。
ビギナー向けプログラム”LTR(Learn To Ride)”は、特別に開発されたLTRボードを使用し、参加者の7割以上が90分のレッスンでターンをマスターするという結果を出しています。さらに近年では、”Riglet Park”や”Chill”といった子供たちをターゲットにしたイベントを行っており、震災に遭遇した子供たちや、生活困難な子供たちにスノーボードに触れ合う機会を提供、すでに参加者は1万人にのぼります。参加した子供たちの中からどんなスノーボーダーが生まれるのか、期待が膨らみます。
BURTONとMOJANEの関係
MOJANEでは創業1995年から20年以上にわたり、正規ディーラーとしてBURTONを取り扱ってきました。
前オーナーと共にMOJANEを立ち上げた中島 昇志氏を筆頭に、MOJANEに所属する多くのスノーボーダーがBURTONからサポートを受けてきた背景があります。
BURTONのボードが世界中の表彰台を飾っているように、90年代後半のMOJANEライダー達もBURTONに乗って日本全国、世界を舞台に活躍しました。長年に渡ってBURTONを愛用するユーザーが多いMOJANEでは、ハイスペックモデルのCUSTOM-Xに毎年注目が集まります。CUSTOM-Xは、BURTONの中でも上級者への登竜門的ボードですが、先代から受け継がれたチューンナップやセッティングのノウハウを生かし、ユーザーの上達をサポートしています。
正規ディーラーとして、MOJANEが特に力を注いでいるBURTONのアフターケア(保証サポートやハードグッズ検品体制など)は、創業当時からの歴代MOJANEライダーやハードユーザーの意見を反映したものです。シーズン中のユーザーを支えるスピーディな対応はBURTONプロダクト・サービスとの連携によって実現しています。
これからのBURTONに期待すること
いつの時代もスノーボーダーにはBURTONの話題が不可欠です。新技術や新素材、スノーボードの発展そのものを楽しみにしているMOJANEユーザーは、次にBURTONが何を見せてくれるのか、いつも期待を寄せています。
また、MOJANEにはユーザーからの切実な要望やレビューも多く集まります。
「ハイエンドなライン以外でも日本人向けのウェアサイズを展開してほしい。」「機能性は申し分ないけれど、インナーの柄がちょっと派手過ぎる…」「親子で揃えて着られるウェアや小物があったら嬉しい。」「画期的なハードブーツを開発してくれないかな。」など、その意見は多種多様。フリースタイルに特化した現在のBURTONに「アルペンやスノーボードクロスなど、スノーボードの各ジャンルでBURTONの力を見せて欲しい」という声もありました。
スノーボード界のリーディングカンパニーとして君臨し続けて欲しいというスノーボーダーの願いが込められているように思います。