雪山の無い町のプロスノーボーダー
2017-2018シーズン、MOJANEキッズチームから待望のプロスノーボーダーが誕生しました。藤谷 瞭至(Ryoji Fujiya)くん、14歳。年々注目度が高まるスノーボード競技の中でも、特に難しいと言われる”フリースタイル”でプロ昇格を遂げました。
彼とMOJANEの出会いは7年程前。当時から、キッズスノーボーダーの中でも一際注目を集める存在でした。猫のように身軽で、駒のように回る。その類まれな身体能力や、大舞台でも物怖じしない強さはどのように育まれたのか…。
今回は、夏休み中の瞭至くんを訪ねて北海道沙流郡平取町へ。プロとして初めてのシーズンを控える彼に、今の素直な気持ちを話してもらいました。また、瞭至くんの父、藤谷 直樹さん、8歳からコーチを務める赤前 吉明君にもお話を伺いました。
INTERVIEWRYOJI FUJIYA
moro : まずはプロ昇格おめでとう!瞭至としては何度も掴みかけてきて、やっと手に入れた!という感じかも知れないね。プロになって心境の変化はあった?
ryoji : 違う世界が開けて、バーッと広がっていくイメージがあって。今まで以上にもっと頑張っていかないとな、って思ってます。次のシーズンはサッポロテイネを中心に行く予定で、夕張マウントレースイにはデカいキッカーが出来るみたいだし、とにかく楽しみです。
やっと辿り着いた夢のスタート地点
moro : プロスノーボーダーとして1年目、周りの目も変わってくると思うけど、どうやって自分をアピールしていこうか。意気込みを聞かせてくれる?
ryoji : とりあえず大会とかで、プロの人たちの中でも突っ込んで行って、カッコイイ技を見せたい。まだ出来てないけど、トリプルコークやりたいですね。あとは自分でお金をもらったりしたときは、親に返していきたい。まだ先の話かもしれないけど、親に恩返しをしたいです。
スノーボードに没頭した10年間
moro : 北海道だとスキーっていう選択肢もあったと思うんだけど、瞭至はどうしてスノーボードだったのかな。スノーボードを始めた年齢と、きっかけを教えてよ。
ryoji : お父さんがスノーボードをやっていたから、俺もやりたいなって。5~6歳だったと思います。この辺は雪が少なくて、学校でもスキー授業がないから(冬の授業は雪合戦だった)、スキーはやったことが無いんです。プラスチックの玩具のスキーを数回やったくらい。周りはみんなスキーをやってたけど、自分でスノーボードを選んだらしいです。
moro : 道内でスキー授業が無い小学校は稀だけど、確かにこのエリアには目立ったスキー場が無いよね。じゃあ、初めてスノーボードした時の事は覚えてる?どうしてこんなにハマっちゃったんだろう。
ryoji : 初めて滑ったのは日高国際スキー場っていう、ここから一番近い山。最初はお父さんに抱っこされながらですね。単純にお父さんと滑るのが楽しかった。もう、とにかくジャンプが好きで、多分スノーボードを初めた年に飛び始めたんじゃないかな(笑)。
moro : それはお父さんもお母さんも驚いただろうね!初めてスノーボードの大会に出たことは覚えてる?
ryoji : 大会の名前は忘れちゃったんですけど、テイネの上にキッカーがあった時で、小学校1年生の時です。しかもその大会の賞品がMOJANEのメンテナンスチケット。そこからMOJANEに行き始めたんです。
初めての賞金「20万円」に震える
moro : 懐かしいね、あの時で1年生か。あれから沢山の大会に出てきた中で、思い出に残っている大会はある?
ryoji : これまでは全道とか全日本の大会が好きでした。最近だと、20万円の賞金をもらった津南SNOW WAVE2018です。あれはびっくりした!トーナメントだったんですけど、着地でミスする選手が続出しちゃってて、俺が決勝の最後の1本だけ立てたんです(笑)。貰っちゃっていいの?っていうくらい、ホントに運だけの優勝でした。
moro : それはもう、瞭至の勝負強さを感じるエピソードだね。賞金の使い道は決まった?
ryoji : もう遠征費で消えちゃいました(笑)。でもその大会の帰り、フェリーの中で賞金を見たら、20万がもう分厚くて「おわぁぁぁ!」って、こんなに分厚くて!今まで賞品をもらう事はあったけど、賞金は初めてだったからテンション上がった(笑)。
moro : 自分の出した結果がお金になるって、いい経験だよな!これからはプロスノーボーダーとして賞金が懸かった大会もどんどん出ていくことになるよね。
ryoji : うん、狙っていきたい。それとSNOW WAVEで優勝したからお父さんとの約束でスマホ買ってもらったんです照。お父さんは絶対に優勝なんてできないと思ってたから、ふざけて「優勝したらケータイ買ってやるよ」とか言っていたんだけど(笑)。
moro : 大きな大会の時はやっぱり緊張する?それとも楽しんでる?
ryoji : 緊張はするけど、滑り始めたらアドレナリンが出て単純に楽しくなる。自分より上手い人の滑りを見ているのも楽しいし、上手い人を越したいって思います。知り合いの多い大会なら、話をしたりリラックスしながらできるけど、プロ戦は知らない人だらけで雰囲気が全然違って。とにかく「ウーッ(眉間にしわを寄せて)」て集中してやってます。
一歩先を行くライバルの存在
moro : プロの世界は選手たちが背負っているものも違うし、技術も気迫もレベルがぐっと高くなるよね。そういう場所で集中力を発揮できるのは凄い事だよ。瞭至の中でライバルはいる?
ryoji : 渡部 陸斗くん(ムラサキスポーツ)です。陸斗が全道優勝していて、俺は勝てなくて2位だった。抜かしたいけど、先に行かれている感じ…。少し焦りを感じる事もあります。
やめようと思った事?一度もないです。
moro : 悔しい経験もいっぱいしたと思うけど、調子が上がらない時、成績が出ない時、どうやってモチベーションを上げているのかな。
ryoji : 一昨年、全道の大会で予選落ちしてJSBA全日本にいけるチャンスを逃したことがあって。そのときに「やべぇ!これじゃだめだ」と思って、バカみたいに筋トレとストレッチをしました。そこから少しづつ変わってきたと思うんですよね、ダブルコークもピタッと止まるようになった。その成果が出たし、まだまだいけると思いました。
「結果で返したい」スポンサーとの関係
moro : 瞭至にはビッグスポンサーがついている訳だけど、スポンサードをどう感じている?
ryoji : 初めてのスポンサーはShakaで、5~6年生の時だったかな。本当に嬉しかった。契約書にサインする時は、緊張で手がぶるぶる震えましたよ。今まで道具にかかってたお金もかからなくなるし有難いです。少しでも出費が軽くなるから、親も喜んでくれてると思う。
moro : 今のスポンサーは、ROME SDS、DC shoes、Shaka Sunglasses、の3つだね。スポンサーとは良い関係を築けている?
ryoji : メーカーとは凄く良い感じだと思います。感謝しているし、満足しています。プレッシャーも少しはあるけど、メーカーとライダーという関係の中でも、刺激し合いたいし、楽しく仲良くやりたいと思っています。
どんな道具でもスノーボードは楽しい
moro : 瞭至はスノーボードを選ぶ時に、ダブルキャンバーだとかキャンバーだとか、全然気にしないよね(笑)。乗れば何でも対応できちゃうの?
ryoji : あ、全然気にしてないです。スタンス調整も適当です。どんな板でもだいたい乗れるし、これも良いし、これも良いな、って感じで。今のROMEの板もすごい調子良くて、ビンディングも全然壊れてない。DCのブーツはワイヤーが全然切れなくて、そこも良いまだ一回も切れてないです。
moro : 瞭至が使って壊れないっていう事は相当だよね。今までかなり壊してきたでしょ?
ryoji : 1カ月に1本ペースで板が折れちゃってたシーズンもありました。とにかく折ってた。でも怪我は4年生まで一度もなくて、5年生になってからちょこちょこ怪我し始めた。靭帯やっちゃったり。
療養中の過ごし方とトレーニング
moro : 怪我の間は練習もできないし、悔しさや焦りもあったと思うけど、どんな時間を過ごしてたの?
ryoji : 暇つぶしに趣味を増やしてました。マジックを覚えたりして。トランプは結構やりましたよ。BEEっていう紙製のトランプが好きです。最近怪我が少ないからマジックのスキルもだんだん衰えてきてるけど、ROMEチームが集合した時の自己紹介でルービックキューブをやりましたよ。
moro : 結果的に集中力トレーニングになって、披露できる特技も増えた。ネガティブになりがちな期間を上手く使っていたんだね。夏の間やスノーボードをやっていない時は、どんなトレーニングをしている?
ryoji : 町のサッカー少年団に入ってて、いつも筋トレとかはやってるかな。スノーボードのトレーニングの為にサッカーしてるっていう感じです。
第二の父、赤前コーチとの絆
moro : 赤前吉明くんがコーチを務めるMOJANEのキッズチームに参加したことで、瞭至と赤前くんの二人三脚が始まったんだよね。瞭至にとって赤前くんはどんな存在?
ryoji : 第二の親って感じです。家に泊めてもらったり、ゲレンデに連れていってくれたり、ずっと教えてもらってきたんで、上手くなって赤前さんみたくなりたいって思ってやってきました。
moro : 赤前くんのコーチングは傍目に見ても結構スパルタで、手抜きも妥協も一切なしだと思うんだけど、どんな教え方するの?ムカついたエピソードを聞かせてよ(笑)。
ryoji : 赤前さんの教え方…どうだっけなぁ…?赤前さんに対して嫌だなって思った事もあったかもしれないけど、あんまり覚えてないですね(笑)。 「えぇぇ?まだやるの?」っていうくらい滑るのもいつものことだし、「あぁー疲れたー!」って家に帰ってきた途端「友達が今飲んでるっていうから行くわ!」みたいな事もよくあって。睡眠時間が普通の人と違うから、全然ついて行けないですよ。俺は寝ますけど(笑)。
2018年、藤谷 瞭至の今。
moro : 今はトリプルコークに取り組んでいるそうだけど、新しいトリックに挑戦する時は、どうやって練習するの?
ryoji : とりあえずバッってやってみて、微調整しながら感覚を掴んでいく感じ、かな。例えばダブルコークの時は、絶対お尻から落ちちゃう時期があって、首の動きとか目線とか、グラブとか縮こまり方を地道に変えて、絶対立てる!ってところまで仕上げていきました。でも今は皆出来る技だし、トリプルの時代ですよね。大塚健くんのキャブトリプル1440(X GAMES 2018)、凄いことになってますよね、めっちゃカッコイイと思います。
moro : X GAMESの舞台で戦う瞭至、見たいなぁ!スノーボードで世界を目指す以上、英語の習得は避けられないと思うんだけど、勉強してる?海外で滑るなら行きたいところはある?
ryoji : 英語は覚えれるなら覚えたいです。海外遠征はまだ行った事がなくて、パスポートも去年作ったところなんですけど、めっちゃ行ってみたいです!どこの国とかじゃなく、とりあえず海外で滑ってみたい。ROMEの中心ライダーがノルウェーの出身だし、興味があります。
士気を掻き立てるROMEチームの環境
moro : 今、目標にしているスノーボーダーは誰?
ryoji : 大久保勇利くんです。4つか5つ年上なんですけど。オリンピックもめっちゃ観てました。今は同じROMEチームで刺激を受けています。動画を観てても、やっぱ高さがあって、抜ける前の板のしなり方が半端じゃないんです。板がヒュイン!って凄いことになってるんですよ。
moro : 4年後の自分を想像したら、勇利くんを越えてると思う?
ryoji : 越したいです。俺はやっとトリプルを回し始めたところだけど、まだまだこれからの自分が楽しみだし、もっと伸びたいし、勇利くんを越えたいです。勇利くんがROMEに来てから、ショップにROMEの板がばーっと並んでたりするのを見て、凄く盛り上がっているのを感じます。
プロを目指すキッズたちへ
moro : オリンピック選手の影響力を間近で体験できることは刺激になるね。瞭至もそういう存在になっていくことを楽しみにしてるよ。プロとしては先輩たちを追うルーキーの立場だけど、今後は瞭至を目標にしてスノーボードに取り組むキッズたちがどんどん出てくると思うんだ。彼らに何かアドバイスはある?
ryoji : 自分を目指してくれるのは、嬉しいです(照)。アドバイスは、とにかく楽しむこと。俺は人より練習量が少ない週末スノーボーダーでここまでこれました。やるときはやる、上手くいかなくても楽しくやる。っていうのは絶対大事だと思ってます。あと、とにかくスピードに慣れておくことです。キッカーがでかくなるとスピードが出るから、その時に体が振れちゃうとやりたいことが出来ないんです。初めて18mのキッカーを飛んだ時は、速さにビビっちゃってダメでした。720やろうとしたら1260になっちゃったり(笑)。
家族やコーチの存在、応援してくれる人への感謝
moro : 家族の応援は大きいと思うけれど、どんな風にサポートしてくれている?
ryoji : 普段から飯作ってくれたりとかも嬉しいし、遠征行く前とかに「頑張れ」って言ってくれるのは励みになる。スケジュール管理も親が全部やってくれています。難しい書類とか、旅程とか、学校の事とか、大変だと思います。弟たちはあんまりスノーボードに興味ないみたいで、俺のライディング動画とか見せても反応あんま良くないんですよね(笑)。
moro : 応援してくれている人たちにひと言、メッセージをお願いします。
ryoji : いつも応援してくれている家族や友達、赤前さんも、皆さん、ありがとうございます。長い遠征に行くときは、友達からの励ましの言葉がとてもうれしいです。親にも周りにもまだまだ迷惑かけるけど、ずっと応援してほしいです。よろしくお願いします。
moro : 最後に、瞭至にとってスノーボードとは?
ryoji : 一番真剣になれること、です。
思い出の場所、児童館での再会
平取町で瞭至が案内してくれたのは、児童館や図書館、役場が併設された大きな施設、ふれあいセンターびらとり。
ここは彼のお母さんの職場でもあり、小学生の瞭至が毎日遊びに来ていたという思い出の場所だそうです。この日は町のお祭りが催されていたこともあり、クラスメイトや転校したお友達にも再会していました。また、幼い頃の瞭至を良く知る児童館の先生たちにもお話を聞くことが出来ました。
「瞭至は昔から凝り性で、やると言ったらとにかく追求する子でした。でも、次に会った時にはもう飽きちゃっていてね(笑)。ルービックキューブにけん玉に…どんどん興味が移っていくんだけど、全部ちゃんと極めるという子でした。集中力はとても高かったし、勘も良くて。お母さんも元々足が速くて、本当に運動神経が良い方なんですよ。」
「小学校の頃から『僕はプロになってテレビに出るんだ!』なんて言っていましたけど、私たちも瞭至は日本では手狭だと感じていました。型にはまらずに、この才能を発揮できて認めてもらえる様な世界に飛び出していって欲しいと、いつも話していたんです。 プロスノーボーダーになったと聞いて、やっぱりな。と納得していますよ。これから活躍する姿を見るのを楽しみにしています。」
平取町で本格的にスノーボードをしている学生は瞭至だけだそうです。スノーボードの遠征で学校を休むことも多いという彼ですが、クラスメイトはもちろん、学校や町全体が彼を応援しているんだなと感じました。
児童館職員の皆様、突然伺ったにもかかわらず快く迎えてくださり、ありがとうございました。
INTERVIEW YOSHIAKI AKAMAE
moro : 赤前コーチから見て、普段の瞭至はどんな少年ですか?
akamae : いつも何かを考えていて(遊びのこと)、話をしても全然聞いてない。ちょっとおバカで、ごく普通の中学生です。忘れ物が半端なくて(自分に似ている)、滑りスイッチが一度入ったら止まらない。
moro : 瞭至を小学生の頃から教えている赤前くんですが、どの様に信頼関係を築いてきましたか?また、コーチングを行う上で、瞭至のご両親とはどういったやり取りがあったのでしょうか。
akamae : 本人とは、山やキングスに行く時なんかに、たくさん話せる時間があったし、出来るだけ彼を自由にさせて、いざという時にアドバイスするっていうのをずっと繰り返してた。ご両親とは、最初の段階で瞭至の性格について話し合いました。お父さんお母さんが仕事で都合がつかない時は、瞭至を預かってうちに泊まる練習をして。そんなことを続ける中で徐々に打ち解けていった気がする。俺はあくまで補助の立場として対応しようと決めていました。
moro : 瞭至のプロ昇格は、コーチとしても誇らしい出来事だと思いますが、これからの彼に、どんなスノーボーダーになってもらいたいですか?
akamae : 持ち前の明るさと器用さを武器に、誰にも真似できない瞭至だけのスタイルを確立してくれたらそれでいいかな。
INTERVIEW NAOKI FUJIYA
moro : 瞭至がスノーボードを始めたのはお父さんの影響だったそうですね。彼が才能を発揮し始めたのはいつごろですか?
fujiya : スキーをしにゲレンデに行ったのですが、レンタルコーナーで「2本じゃなくて1本のやつが良い」といって本人がスノーボードを選んだのが始まりでした。私自身、スノーボードは大人がやるものだと思っていましたが、レンタルには子供用のスノーボードもあったんです。それが保育園(5歳)の頃だったでしょうか。小学1年の時は既に大会に出場するようになりましたね。初めて大会の賞品でMOJANEのチューンナップ券をもらいました!そこからモロさんと赤前さんと出会い、今に繋がりました。
moro : どんどんスキルアップしていく瞭至を見て、どう感じていましたか?
fujiya : スキー場の無い町に住んでいるので、練習は基本的に土日のみ…という環境なのですが、本人が楽しんでやっているので、出来る限りのサポートをしているつもりです。
絶対的な練習量が足りない中で、小学3~4年生の時は1日に12時間以上滑ってる、なんていう事もしょっちゅうありました。逆に出来るときに集中して「やるときゃやる!」という精神が生まれたのかもしれません。ですが、やはりゲレンデに恵まれた札幌近郊の人が羨ましいと思っていました。
moro : 親元を離れてのレッスンや遠征は、長期間に及ぶこともありますよね。心配事も多いと思いますが、親子のルールはありますか?
fujiya : 特にルールは決めていませんが「挨拶」だけは必ずするように、いつも言い聞かせています。施設での練習も、最初と最後は必ずスタッフの皆さんに挨拶をしています。
藤谷瞭至 PROFILE
2004年6月20日生 / 北海道平取町出身
レギュラースタンス(左利き)
趣味:アニメ、ゲーム
INSTAGRAM
SPONSORED:ROME SDS、DC shoes、Shaka Sunglasses
ボード:ROME LO-FI ブーツ:DC TRAVIS RICE バインディング:ROME KATANA
14歳という若さでプロになった、という結果だけを見ると、「スノーボードの才能に溢れ、着々とキャリアを積み上げている天才少年」なんて思う方もいるかも知れませんが、その背景には、地道なトレーニングや絶え間ない努力、コーチとの絆、そして家族の支えがありました。
ガキンチョだった瞭至が、会うたびに成長して、今や大人びた表情を見せるようになりました。明確な目標を掲げ、一つ一つ達成していく。そして心からスノーボードを楽しんでいる。僕たちサポートサイドも彼の真っ直ぐな姿に突き動かされる思いです。みなさん、今後の彼に注目してください。
みどり輝くユーカラの里、平取町
彼が生まれ育った平取町は、アイヌ文化が残る小さな町。北海道の歴史が好きな僕にとって興味深い土地です。
次回は、ダムや資料館をじっくり巡りたいと思います。
北海道沙流郡。アイヌ語で「崖の間」を意味する人口約5.000人の町、平取町。水と緑に恵まれたこの地域は、アイヌ民族の歴史と文化を今に伝える貴重な場所のひとつです。また、多くの伝説を残す源義経を祭る大きな神社には、どこか神聖な空気が漂います。農業と酪農が盛んで、びらとり和牛やトマトが名産です(トマトジュース「ニシパの恋人」は絶品です)。